古代国家興亡の時代 史実性が乏しいと思われる事項を角括弧で示した 前8000~10000くらい、全容不明のギョベクリテペ遺跡(アナトリア)の構造物。前15000ごろのものが含まれているという説もある。 前11000前後、レバント(いまのシリア周辺)のナトゥーフ文化後期テル・アブ・フレイラの遺跡で、ライ麦栽培の痕跡が発見される(農業の証拠として最古)。イヌを家畜化した証拠も発見された。 前10000~7000ごろ、シュメール、インド、ペルーなどに農耕主体の生活をする人類が現れる(新石器革命)。農業が伝播したのか独立に始まったのかはっきりしない。ナイル川西方で農耕と牧畜が始まったのがBC7000~6000くらい、チャタルホユック遺跡(アナトリア)で発見された畑や家の痕跡が同じ頃、彭頭山遺跡(長江中流域)で発見された栽培種らしき籾殻がBC7000くらい、興隆窪遺跡(遼河流域)の農業らしき痕跡が前6000前後、上下エジプトの境あたりにあるファイユーム低地に農業が伝わったのが前5000くらい。 前4500~4000ごろ、バダリ文化(上エジプト)で豊富な副葬品が見られるようになる。 前4000前後、メソポタミアで銅器時代(金石併用時代)が始まる。メソポタミアやエジプトが青銅器時代に移行したのが前3500前後。 前3100ごろ、エジプト第1王朝(上下統一エジプト)の成立。 前3000くらい、隕鉄の利用(メソポタミア)が始まる。 前2600ちょっと、最古のピラミッドで知られるエジプト第3王朝ジェセルが即位。 前2300前後、アッカド帝国(メソポタミア、シュメール)の成立。 前2100前後、ウル・ナンム法典(シュメール、ウル第3王朝)が成立。 前1830ごろ、アムル系のバビロン第1王朝(メソポタミア、バビロニア)の成立。 前1750ごろ、ハンムラビ法典(バビロニア)が成立。 前1700~1600くらい、殷(商)の成立。 前1680ごろ、ヒッタイト(アナトリア)の成立。 前1600前後?鉄鉱石からの製鉄が始まる。 前1595ごろ、ヒッタイトがバビロン第1王朝を滅ぼす(征服したわけではないようだが資料が乏しい)。このときまでを古バビロニア時代と呼ぶことが多い。以後、前626年の新バビロニア成立までが中期バビロニア時代で、諸勢力が興亡を繰り返す時代が続く。 前1400ごろ、鋼の鍛造が始まる。 前1300ごろ、現在でいう中央ヨーロッパを中心に骨壺墓地文化が興る。イタリック語派やケルト語派(ないしイタロ・ケルト語派)、バルト語派やスラブ語派(ないしバルト・スラブ語派)などを構成する諸部族の遺伝上の起源(のひとつ)と見られる。 前1300~1200くらい、インドへのアーリア人の侵入が本格化する。インダス文明が前1900ごろ衰退して以降、混乱が続いていたよう。 前1200より少し前、メソポタミアでは、アムル人、ヒッタイト、アッカド北部の勢力アッシリア、フルリ人の国ミタンニ(アッシリアのさらに北にあった)、バビロニアに服従したり反抗したり王朝を滅ぼしたりしていたエラム、民族を指すのかバビロニア国内の派閥なのかもはっきりしないカッシートなどが、バビロニア周辺で入り乱れていたよう。 前1200年ごろ、詳細不明の「前1200年のカタストロフ」と呼ばれる混乱で、当時の先進地域であったエジプトやアナトリアやメソポタミアの文明が大打撃を受け、ヒッタイトが独占していた製鉄技術が世界に広まる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Bronze-age-collapse.svg 前1186ごろ、エジプトでラムセス3世が即位 前1046ごろ、西周が独立。 前943ごろ、アッシリアが復興して新アッシリア王国が成立。 前9世紀なかば、アッシリアの記録にメディア人が登場し始める。 [前814ごろ、フェニキア人がカルタゴ(現在のチュニジア)に国を作る。]同じ頃フェニキア(現在のシリア~レバノン周辺)のフェニキア人国家はアッシリアの圧迫を受け衰退するが、カルタゴはアフリカ北岸~イベリア半島南岸に広がる大国になってゆく。 [前808ごろ、アルゲアス朝マケドニアが成立。] 前8世紀ごろ、ギリシアの情勢が安定し、アルカイック期と呼ばれる時代に入る。 [前753ごろ、王政ローマが成立。] 前7世紀ごろ、アッシリアの記録にスキティア人(ギリシアではスキタイと呼ばれた)が登場し始める。現在のウクライナ周辺で活動した人たちで、遺伝的には、ゲルマン人や一部サルマティア人(ギリシアではサルマタイと呼ばれた)と混血してスラブ諸族を形勢したと見られる。 *古代のエジプト語はアフロ・アジア語族エジプト語派、フェニキア語、アッカド語、アラム語など、エジプト~メソポタミアの古い言語はアフロ・アジア語族セム語派のものが多い。ヒッタイト語とリュディア語はインド・ヨーロッパ語族アナトリア語派、古代ペルシア語とスキタイ語はインド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派、ギリシア語はインド・ヨーロッパ語族ヘレニック語派、ラテン語はインド・ヨーロッパ語族イタリック語派。フルリ語、エラム語、シュメール語などは系統不明。 *ヒエログリフ(エジプト:原カナン文字と後身のフェニキア文字に強い影響、アラム文字などを経由して世界中に伝播)やウルク文字(ウルク古拙文字とも、メソポタミア:簡略化されシュメール文字になる)のもっとも古い資料が前3200ごろ。ヒエログリフに「似ている」と指摘されるもっと古い資料もある。甲骨文字のもっとも古い資料が前1500~1300くらいの間。文字なのではないかと指摘されるもっと古い資料もある。ヒッタイト語は楔形文字を持っていたため、文字記録が現存する最古のインドヨーロッパ語族になっている。 *バビロニアに都市国家を形成していたシュメール人は粘土板と文字を使用しており、遅くとも前3000には原始的な数学が利用されていたらしい。その後のバビロニア数学では、前2600~2000くらいから60進数が採用され、後世にも影響を残した。 *稲作の開始は、古い研究でも遅くとも前6000~4400くらいとされていた。テルアブフレイラ遺跡(メソポタミア)、彭頭山遺跡、クックの初期農耕遺跡(ニューギニア島)などの発掘品を考慮すると、前13500~8000くらいまで遡れるか。 *日本では、前10cごろ、あるいは前3~5cごろ、弥生時代が始まる。 *古代の地球環境と人類の生活については、平成7年版の環境白書第1章、とくに第2節の説明を参照。 https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h07/