ゲルマンとイスラムの台頭の時代 日本の国内事情を角括弧で示した [413~502年、いわゆる「倭の五王」の時代。414年建立とされる好太王碑(広開土王碑)の記述によると、倭の勢力が391~400年にかけて朝鮮半島に進出していた。] 415年、ワリアが即位して西ゴート王国が成立。フランス南部からイベリア半島へと勢力圏を広げてゆく。 430年ごろ、ヒンドゥークシ山麓周辺(現在のアフガニスタン付近)で遊牧国家エフタルが勢力を増す。以後100年くらいに渡り、中国五胡十六国の高車やグプタ朝北インドへの侵攻を繰り返す。 434年、フン族の王アッティラが即位。ゴート族や東ローマを圧倒しイタリアへも侵攻する。フン族は出自不明。 453年、アッティラが急死してフン帝国が瓦解。 476年、ローマ軍人オレステスが事実上の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させ、東ローマ皇帝ゼノンに承認されローマ帝国イタリア領主となる。 480年、建前上の西ローマ皇帝であったユリウス・ネポスが死去。以後西方正帝は設置されなくなる。 481年、クーロヴィス1世がフランク族を統一(メロヴィング朝フランク王国の始まり)。 497年、テオドリックが即位して東ゴート王国が成立。イタリア全土とシチリアを支配下に置く。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Europa_in_526.png 529年、東ローマで多神教の弾圧、アカデメイアの閉鎖。 532年、東ローマでニカの乱、これを鎮圧したユスティニアヌスの権威が高まる。 533~534年、東ローマと北アフリカのヴァンダル王国の間でヴァンダル戦争。ヴァンダル王国が滅亡。 535~554年、東ローマと東ゴート王国の間でゴート戦争。東ゴート王国が滅亡。これに前後して、ゲルマン・スラブ・アヴァールなどの諸族が相次いで東ローマに侵攻する。 535年、インドネシアでクラカタウが大噴火。数年にわたり世界的な異常気象となる。 [538年、あるいは日本書紀によると552年、日本への仏教公伝。] 543年、イタリアでペストが流行。 581年、隋の成立。 [600年、第一回遣隋使。] 602~628年、東ローマ・サーサーン戦争。痛み分けに終わる。 606年、インドでヴァルダナ朝が成立。グプタ朝が衰退を続け滅亡したインドを、ほぼ統一する。 618年、唐の成立。 632年、ブルガール族の連合国家が成立し、大ブルガリアとかオノグリアなどと呼ばれた。 636年、正統カリフが率いるイスラム勢力とサーサーン朝ペルシアの間でカーディシーヤの戦い。サーサーン朝の大敗。 636年、正統カリフ勢力と東ローマの間でヤルムークの戦い。東ローマがレバント地方(シリア周辺)から撤退。 [645~650年、大化の改新。広義には701年の大宝律令成立まで続く。] 651年、サーサーン朝ペルシアが崩壊。イスラム帝国が成立(正統カリフ時代の始まり)。 661年、正統カリフ・アリーとメッカのクライシュ族ウマイヤ家の抗争の結果、ムアーウィヤ1世が即位してウマイヤ朝が成立。 663年、白村江の戦い。 647年ごろ、ヴァルダナ朝が分裂し衰退、インドの情勢が混乱を深める。以後1526年のムガル帝国成立まで統一国家が生まれない。 717~718年、コンスタンティノープル包囲戦。ウマイヤ朝が東ローマの首都を包囲するも陥落せず。このころまでにウマイヤ朝は、イベリア半島、アフリカ北岸、アラビア半島、インダス川流域くらいまでを支配した。 [710年、平城京遷都。] 718年、西ゴート出身のペラーヨが、ウマイヤ朝支配下のイベリア半島北部でキリスト教徒を率いて蜂起し、アストゥリアス王国が成立する(レコンキスタの始まり、以後1492年まで断続的に続く)。 *名目上「西ローマ滅亡」にあたる476年あたりから、西洋史でいう「中世」が始まる。メロヴィング朝フランク王国の成立も481年でほぼ同時期。中世の終わり(近世との画期)は、ビザンツ帝国が滅亡する1453年、レコンキスタが終結する1492年、いわゆる大航海時代が始まる1500年前後から、ルネサンスや宗教改革が広がるくらい、つまり15世紀から16世紀前半くらいまでの範囲。 *東ローマの領域は565年にユスティニアヌス1世のもとで最大となり、その後8世紀くらいまで縮小傾向を続ける。領域が狭まるにつれ、4世紀には始まっていたとされる「ギリシア化」に拍車がかかり「地中海の覇権国家」から「ギリシャとその辺境」へと性格を変えていく。620年にはギリシア語が公用語に認定されている。東ローマとサーサーン朝の覇権争いが、領域内の疲弊と周辺勢力の隆盛につながった。ウマイヤ朝の成立時にイスラムが分裂し、正統カリフ・アリーの支持者はアリー派(シーア・アリー)と呼ばれ、後のシーア派(シーイー)の祖に、アリー以外にもカリフの資格を認める多数派はスンナ派(スンニー)の祖になった。