前13世紀までのメソポタミア ユーフラテス川とティグリス川に挟まれた地域がメソポタミア。メソポタミア南部、バグダードからペルシア湾に至る地域がバビロニア。バビロニアのうち古代都市ニップル近辺よりも北側をアッカド、南側をシュメールと呼ぶ。シュメール地方の中ほどに現在のハマー湖があり、ハマー湖の北のウルとハマー湖の東のウルクが、古代シュメールで中心的な都市であった。ハマー湖からティグリス川を挟んだ反対側(東方)がエラム地方。古代地名としてのメディアがどこを指すかは曖昧で、イラン高原の、おそらく北西のあたりだと考えられる。 前5500~前3500年ごろ、シュメール地方にウバイド文化が興る(ウバイド期)。ウルやウルクに住居の痕跡が見られる。 前3500~前3100年ごろ、ウルクをはじめとする都市国家が成立する(ウルク期)。 前3200~前2700年ごろ、エラム地方で原エラム文字の資料が出土する時代。未読解。スサなどに都市ができ始める。 前3100~前2900年ごろ、シュメール地方で都市国家の形成が進む(ジェムデト・ナスル期) 前27~前26cごろ、ウル第1王朝が成立したか。もっと古い王朝についても「シュメール王名表」に言及があるが、実在したらしい根拠があるのはこれ以後。 前24か23~前22か21cごろ、アッカド帝国の繁栄。シュメール人とアッカド人が入り乱れていたシュメール地方で、双方を取り込んだ王朝ができた。近隣のエラム人・アムル人・グティ人などと交易・抗争・支配などの関係を持ったか。 前22~前21cごろ、ウル第3王朝の繁栄。アムル人やエラム人の侵入が激化する。 前2017年、元ウル第3王朝の将軍でアムル人のイシュビ・エッラが、イシン市で独立勢力となる。 前2004または前1940年、エラム人の侵攻でウルが陥落、ウル第3王朝は崩壊したが都市はイシンの勢力が奪還しイシン王朝が成立する。撃退されたエラム人は南方に勢力を移し、バビロン王朝との抗争や、カッシート人・フルリ人・インドヨーロッパ語族の諸集団などとの接触を続ける。 前2004または前1940~前1750年ごろ、ウル第3王朝の後継を主張するイシン王朝、ラルサ市でアムル人ザバイアが独立してできたラルサ王朝、アムル系勢力がリム市で独立したリム王朝、アムル系独立勢力のエシュヌンナ市、アムル人スムアブムがバビロン市を中心に形成したバビロン第1王朝、リム王朝に敗れたアルム系勢力がエシュヌンナと抗争しつつアッシュール市を征服し成立させたアッシリア王朝など、諸勢力が乱立した(イシン・ラルサ時代)。 前1792年、バビロン第1王朝でハンムラビ王が即位。イシン・ウルク・ウルを攻略、リム王朝を併合、エシュヌンナ市を破壊、アッシリアを圧倒するなどして一大勢力となった。 前17~16cごろ、ハンムラビ王の死語バビロン第1王朝が混乱してゆく。ペルシア湾岸地方に海の国と呼ばれる独立勢力が興り、国内ではカッシート人が勢力を得始めた。フルリ人がハブル川上流域にミタンニ王朝を成立させ、アナトリア北中部にはヒッタイト帝国(ヒッタイト古王国)が成立。ヒッタイトの主体はヒッタイト人だが、初期にはハッティ人、新王国期以降はフルリ人との同化があったらしい。エジプトでは前1570年ごろにエジプト新王国が上下エジプト再統一を果たしている。バビロニアやアッシリアにおいては、アムル人がほぼ同化したと言われる。 前1595年ごろ、ヒッタイトがバビロニアに侵攻する。詳細不明だが結果的にバビロン第1王朝が崩壊、バビロニアではカッシート系勢力が優勢となる。 前1500年ごろ、カッシート人のブルナ・ブリアシュ1世がバビロン王に即位(カッシート王朝、またはバビロン第3王朝)。その後数代で周辺勢力を破り、バビロニア全域を支配する。 前15~13cごろ、国々の活動がより広い範囲に及ぶ。カッシート朝バビロニア、製鉄技術を持ちエジプトと抗争を繰り返したヒッタイト新王国、エジプトと政略結婚を繰り返したミタンニ、イゲ・ハルキ朝(中エラム時代)になり勢力を盛り返したエラム、ミタンニから独立しヒッタイトも撃退した中アッシリア王国などが争った。後にメディア王国を形成するインドヨーロッパ語族インドイラン語派のアーリア人も、この頃までにはメディア地方に流入し始めていたか。 シュメール語・エラム語・フルリ語は系統不明。 カッシートは民族なのかバビロニア国内の派閥なのかも不明。上では便宜的にカッシート「人」とした。カッシート、フルリ、アッシリアの北に興るウラルトゥに言語的な繋がりがあったとする説もある。 アッカド語・アムル語・アラム語はアフロアジア語族セム語派、アッシリア語はアッカド語の方言のひとつとされる。アラム語はヘブライ語に近縁。後に流入するアラビア語もセム語派。 古代エジプト語はアフロアジア語族エジプト語派。 ヒッタイト語はインドヨーロッパ語族アナトリア語派、ハッティ語は系統不明。 メソポタミア神話、バビロニア神話、ウガリット神話には共通点が多く、またどれもシュメール神話の影響を受けている。直接の影響かどうかわからないが、水から創造神が生まれる発想はエジプト神話と共通。 諸説あるが、アフロアジア祖語の担い手はおそらく、アフリカ北東部に住んでいたと見られる。アフリカには他に、ナイルサハラ語族・ニジェールコンゴ語族・コイサン諸語など多くの言語があり、アフロアジア語族がおもに分布するのは、アフリカ北岸~アラビア半島周辺。インドヨーロッパ祖語の原郷については、現在のウクライナ南部周辺の球状アンフォラ文化とする、クルガン仮説が有力。クルガンは遊牧民系の古墳の一種で、アンフォラは取っ手が2つある両手持ちの土器(壷)を指す。インドヨーロッパ系言語の中で、アナトリア語派(ないしヒッタイト語)の分化は比較的早い時期だったよう。