努力の基礎
2020.07.16
勉強に限らず、何かを学習して身に付けるということは、結局「自分を変化させる」ということです。だから「改められない人」は何をやっても伸びません。それ以上に「間違えられない人」はちっとも伸びません。どこを改めるべきなのか、自分で失敗せず他人に教わることができるというのは幻想です。

「勉強ができる、できない」に現在の成績は関係ありません。自力でどんどん間違えて、改めるべきところを探し、変化を積み重ねようという意識を持てたなら、それだけでもう「勉強ができる」状態にあると断言できます。ちょっと奇妙な言い方かもしれませんが、ここが原点、つまりプラスマイナスゼロの地点となり、そこから先は「悪い結果が出る前に変えなければならないところをいかに変えるか」「良い結果が出ないときに続けるべきことをいかに続けるか」という、努力の質の勝負になります。

勉強ができる状態を続けていくには、この「ゼロの地点」に到達するのがどれほど難しいか、マイナスの領域に引き込まれるのがどれほど簡単かを知らなければなりません。勉強ができない状態の例を挙げればわかりやすいでしょう。「間違えることを悪いことだと考えてしまう」「改めずに済ます方法をつい探してしまう」そのようなときにはマイナスの領域にいるのだと考えて間違いありません。つまり、自分を変化させることに行き詰った状態です。

もちろん、プラスの時期とマイナスの時期が交互にやってくるのは自然なことで、調子のいいときがいつまでも続くものではありません。しかし「勉強ができる、できない」が不安定なものであればこそ、そこに自分の意思で働きかけたり、また周囲の後押しを得たりすることで、いくらかは状態を変えられます。この感覚を自分のものにすることが「勉強ができる」ようになった第一の成果になります。

蛇足ながら、では応用力はどういうものかと考えると、目標を伴う努力のことでしょう。この段階に入ると、話は途端に複雑で難解になります。目標を設定し、何を身に付けなければならないか把握し、そのために利用できる環境や時間や費用を評価し、計画を立て、実践しながら修正していかなければなりません。正直に言いますが、どのように取り組むのが正解なのか、私もわかりません。しかし少なくとも、基礎力の堅牢さが応用力を支える要素になることだけは疑いようがありません。

現実には、万全の基礎力を固めてから応用に取り掛かれるのは、ごく一部の幸運な場合に限られます。困難な応用をなんとかこなしながら、基礎力も高めていかなければならないのは普通のことです。だからこそ、基礎に集中できる時間を大切にして、また目の前に切羽詰った課題があるときにも基礎を省みる余裕を持つことが、どうしても必要になります。

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