勉強中の数学メモ3
2021.05.22
ピアソンのカイ2乗検定とフィッシャーの直接確率検定では、帰無仮説が異なる。カイ2乗検定の帰無仮説は平均効果が0であるというもので、プラスの効果とマイナスの効果が同確率で同程度に現れる場合は棄却されない。直接確率検定の帰無仮説は個体効果が0であるというもので、プラスの効果もマイナスの効果もない場合にのみ棄却されない。後者の方が強い条件であり「シャープな帰無仮説」と呼ばれる。カイ2乗検定にイェーツの連続性補正を施すと、直接確率検定の結果とよく近似するようになる。「フィッシャー検定」という呼称も一般的ではあるが、F検定と紛らわしい。カイ2乗検定は復元抽出の分布である二項分布に、直接確率検定は非復元抽出の分布である超幾何分布に基づく、らしいのだが二項分布からカイ2乗分布に乗り換える必然性がいまひとつピンとこない。

独立二群の平均値差に関するスチューデントのt検定とウェルチのt検定は、どちらも母集団が正規分布することを前提とするが、前者がさらに等分散を要求するのに対し、後者は非等分散であってもよいように補正してある。検定の多重性を避けるために、等分散であることが自明でないデータであればウェルチのt検定を用いるべき。F検定は正規分布に従う2つの群の標準偏差が等しいかどうか、正規分布に従い標準偏差が等しい2つの群の平均が等しいかどうか、のどちらか(だけ)に用いるのが無難。t検定の前に、KS検定などを行って前提の適合度を評価するのは差し支えない。

余談ながら、ディラックのデルタを正規分布関数の極限で近似する手法を調べていたときに、岡竜之介のブログという愉快なウェブログを発見したので紹介します。ディラックのデルタに対抗して「イプシロン」なる変な関数を勝手に、しかし真面目に作ってしまった話だとか、算数の問題を作るとき先生が密かにイラっとしている「通分して計算したら約分が必要なくなってしまう問題」をスッキリ解決するプログラムを作る話だとかが、どこか昔懐かしいテイストとともに掲載されています。数学IIIまで勉強した生徒なら、少し背伸びすれば面白おかしく読めると思います。

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2021.05.22 23:39 | 固定リンク | 配布・公開
勉強中の数学メモ2
2021.05.22
イプシロンデルタ論法は一見面倒そうだが、ようするに、高校数学でいう「Δx」を無限に小さく「できることを保証」するための方法論である。

微分をライプニッツの記法で書いたときのdy/dxはもともと「Δy/ΔxについてΔx→0の極限を取ろう」という意図で、次元を意識しないときは「微分小」とか「無限小変分」などと呼ばれる。これを正確に理解するには外微分の知識が必要になり、本格的な数学にほんの少しだけ足を突っ込むことになってしまい、それはそれは恐ろしく大変なことになる。どうしても知りたい人は下記を参照。
http://www.math.titech.ac.jp/~kawahira/courses/kiso.html
http://sshmathgeom.private.coocan.jp/diffgeom/tangentvec.pdf
https://www.math.sci.hokudai.ac.jp/~ishikawa/kikaA08/08-kikaA-hosoku2.pdf
全微分(ないし一次微分形式)をこのように書く、という知識のところで立ち止まるのも方便ではないか。

高校範囲の知識でなんとなくのイメージが得られないか、と考えてみたところ、多変数関数を扱うときに意味が出てくる概念なのだから、変数を増やせばよさそう。ということで媒介変数関数の微分公式をイメージするのはどうだろうか。x=f(t)かつy=g(t)ならばdy/dx=g'(t)/g'(t)というアレである。ライプニッツの記法とラグランジュの記法を混ぜて書くのは奇妙だが、こうすると「dx=g'(t)なのかな」というイメージが、なんとなく沸いてくるような気がする。またyをxで2階微分するのをライプニッツの記法でd^2y/dx^2と書くが、これはd(dy/dx)/dxという風に繁分数で書いた方が誤解が少ないのではないか。こうしておけば、媒介変数表示でdy/dx=h(t)=g'(t)/g'(t)となっているときのd(dy/dx)/dx=[d(dy/dy)/dt]*[dt/dx]なんかも、より自然に理解できるように思う。

n個の変数X=(x1,x2...,xn)が像F=(f1,f2...,fm)をなし(どちらも列ベクトルとして考える)、すべてのfiがxjで偏微分可能なとき、i行j列が∂fi/∂xjとなる行列を、多変数ベクトル値関数Fのヤコビ行列という。全微分を与える表現行列だと見ることもできるし、Fの要素の勾配ベクトルを行として縦に積み上げたと見ることもできる。

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2021.05.22 23:23 | 固定リンク | 配布・公開
勉強中の数学メモ1
2021.05.22
このところ少し数学の勉強をしていて、備忘録的にメモっておいたことや、なんとなく思いついたことなどを書き溜めるうちにけっこうな分量になったので、物の役には立たないでしょうが公開してみます。あくまで勉強中のメモで、どの程度正しい理解なのか私は知りません。

Aを行列、xとbを列ベクトルとして
A*x=bならば
A^-1*A*x=A^-1*b
x=A^-1*b
という演算ができる。線型方程式がn個の変数を持ちn本の一次方程式からなるとき、それらを行列表示したものをAとすると正方行列になるが、Aが正則である(逆行列をもつ)ならば、ベクトルxのi番目の成分xiは、Aのi列をbに置き換えた行列をAiとして、
xi=det(Ai)/det(A)
と一意に解くことができ、クラメールの規則とかクラメルの公式などと呼ばれる。

A^-1を求めるとき、実用上は掃き出し法などの方が計算量の増加が穏やかだが、余因子展開の方が原理がわかりやすい。Aのi行めとj列めを除いた行列をAijと書き、余因子Δijを
Δij=(−1)^(i+j)*det(Aij)
と定義する。この余因子を要素とするi行j列の行列をA^(流儀によってはC)、それを転置したものをA~(余因子行列)として、ライプニッツの明示公式から行列式の多重線型性を確認すれば、
A^-1=(1/det(A))*A~
が成り立つことがわかる。

n個の関数(実関数でも複素関数でもよい)f1,f2...,fnが区間I上でn−1階微分可能とするとき、f1の0~n-1階微分を縦に並べた列ベクトルf1(x),f2の0~n-1階微分を縦に並べた列ベクトルf2(x)...,fnの0~n-1階微分を縦に並べた列ベクトルfn(x)を横に並べて作った行列(i行j列成分が、fjのi-1階微分になる)の行列式をロンスキー行列式W(f1,f2...,fn)という。ロンスキー行列式(ロンスキアン)が「恒等的に0」でないとき、f1,f2...,fnからなる関数族は線形独立な解をもつ。厳密な証明はさておき、拡大係数行列で連立方程式を解く操作を確認すれば、おそらくそうなのだという納得はできよう。関数族が線形従属である条件は難しいようで、ペアノなどが考察を与えているらしい。

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2021.05.22 23:18 | 固定リンク | 配布・公開
文章読本
2021.05.01
左から、文章読本(谷崎)(ISBN 4-12-200170-6)、文章読本(三島)(ISBN 978-4-12-206860-5)、文章読本(丸谷)(ISBN 4-12-202466-8)
 
同じタイトルで著者が異なる本が3冊並んでいますが、このほかにも「文章読本」(ぶんしょうとくほん)と称するものは多数あります。中身はそれぞれ異なり、名前だけでわかるのは「文章について書かれた本」だということだけです。

実物を手に取ってみればわかる話をくどくど引っ張っても仕方ないので、ごく大雑把に言ってしまえば、文章読本というのは「(日本語の)文章はこう読んでこう書くのがよいだろう」というコツや心得や練習法をまとめた本です。3冊とも著名な小説家が書いたもので、文学的な文章を中心に取り上げていますが、文学的でない実用の文章も無視してはいませんし、ある程度は文学的な文章に親しんでいないと実用文章も結局のところ上手には書けません。

この手の本を初めて読む人が親しみやすそうなのは谷崎の文章読本で、解説書というよりは概説書、日本語が持つ特徴や歴史などを紹介しつつ、文章に対する興味と関心を喚起する内容です。手強いのは丸谷の文章読本で、英語や漢文の引用も多く、ページ数も谷崎の本の倍以上あります。高校生に読めないほど難解な本ではありませんが、受験が終わってからゆっくり読んだ方がよいだろうと思います。三島の文章読本は、少し意外ですが、現代の大人が教養書として読むには、3冊の中でいちばん「当たりが軽そう」な内容です。読み物として面白く、教科書で勉強しているような気分にさせないのが長所です。

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2021.05.01 00:48 | 固定リンク | 本の紹介
理科の実験について考えたこと
2021.05.01
何度も紹介している放送大学の番組ですが、私もビデオに録画してはいつも観ていて、ふと理系の科目の実験の面白さに気付きました。自分自身について思い返してみると、小学校から高校まで、理科の実験というのはあまり好きではありませんでしたが、放送大学の番組で紹介される実験はどれも楽めています。

そこで、あくまで私一人の体験が基準ではありますが、面白い実験というのはどういうものなのか、少し考えてみました。もちろん、スタジオで録画した授業を放送するという放送大学の仕組みや、おそらく中学校や高校よりは豊富に使えるであろう予算や装置や人員の恩恵もあるのでしょうが、実験の中に「わからなさ」が巧みに組み込まれているのも特徴なのではないかと思います。

中学高校の理科の実験は、作業を安全に実施したり結果を損なわない工夫をしたりという「実技」の側面ももちろん重要ですが、基本的には習ったことが実際そのとおりであることを「確認」することに力点を置きます。放送大学の実験も、とくに化学系の教科では確認を主目的とすることがほとんどですが、私の見立てでは、実験を行うタイミングに特徴があります。ひとまず机上で習ったことが、なにしろ大学の先生が教えている話なので正しいに違いないと頭ではわかっていますが、まだ腑に落ちず疑わしく思っている段階で「実際こんなことが起こりますよ」という見せ方が多いのです。

もちろん、しっかりと段階を踏んで、座学の内容を理解してから実験に移るのがいけないわけではありません。しかしそのバランスをあえて崩し「わからなさ」を持ったまま実験に臨むこと、実験をした後にも「わからなさ」を残して次の興味につなげることが、難度は上がりますがより高い効果を望めるやり方なのでしょう。

まなびやも学習塾としては「実演して見せる」教え方が多めで、教室にも虫眼鏡やらタコ紐やらトランプやらの小道具を用意していますが、より効果的な活用をもう一度考えてみたいと思います。

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