見栄えがする本
2021.10.29
左から、The Story of Beowulf(ISBN 9798652393120)、The Canterbury Tales(ISBN 978-0-00-744944-6)、谷崎潤一郎訳 源氏物語 全 (ISBN4 12-001540-8)

私は本棚に本を並べるのが趣味なので、ロクに中身は読んでいない本もけっこう持っており、その代表が上の3冊です。

右の源氏物語は谷崎による現代語訳で、3回訳されたうち一番新しい「新々訳」と呼ばれているものです。古本で安かったのを見て衝動買いしました。こういう大きい本があると、本棚の見た目に迫力が出ます。真ん中はイギリス古典の代表格、の現代英語訳で、イギリスの高校生はおそらく「古文」の授業でこの本の原文を習っているのでしょう。左はもっと古いイギリスの古典の現代英語訳、のさらにダイジェスト版です。全文の現代英語訳はトールキンが有名で、新しい版が2002年にBeowulf and the Criticsというタイトルで出版されています。

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2021.10.29 23:20 | 固定リンク | 本の紹介
全地球史アトラス
2021.10.28
放送大学の授業に使われていたものの請け売りで、高校卒業程度の基礎知識があった方が楽しめるでしょうが、物語風に進んでいくので、中学生が見てもチンプンカンプンということはないだろうと思います。

製作元は冥王代生命学の創成というグループで、全12回のノンストップ版もあります。

地球や生命の過去と未来がこの通りである、というものではなく、現在ある多数の仮説を組み合わせた「見本」のようなものです。

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2021.10.28 21:44 | 固定リンク | 教材の紹介
私の幸福論
2021.10.22
私の幸福論(ISBN 978-4-480-03416-8)

著者の福田恆存はシェイクスピアの翻訳が有名で、以前ヴェニスの商人を紹介したときに訳者として取り上げました。評論家や劇作家としても多くの著書があります。

「あとがき」から抜粋すると、
この書は「まえがき」の部分を含めすべて昭和三十年から翌三十一年にわたり、講談社の「若い女性」という雑誌に「幸福への手帖」という題のもとに連載したもので、その後三十一年末、新潮社より題も同じく「幸福への手帖」として一冊の単行本にまとめられて出版し、当時二三度版を重ねたまま絶版同様になっていた
ものの、加筆版(1979年高木書房)のさらに復刻版(1998年筑摩書房)です。内容については、私がクドクド説明するより、巻末にある中野翠さんの「解説」を引用した方が早そうです。
『私の幸福論』というタイトル、説教調と言えなくもない真面目な文体……。人生論の嫌いな私だ。もし私が福田恆存の名前を知らなかったとしたら……この本を手にする気も起きなかったのではないだろうか。(略)私は長い間「教養」という言葉になじめなかった。世間ではどうもこの言葉を「物識り」とか「おけいこごとに熱心な人」とかのニュアンスで使っている様子だったからだ。私は福田恆存によって初めて「教養」という言葉を美しいものとして感じたのだ。
私も翻訳家としての福田恆存を先に知り、こんな鮮やかな文章を書く人の評論はどんなものだろう、という興味で読んだ本なので、シェイクスピアの翻訳を先に読んでみるのもよいかもしれません。

話を戻しましょう。これはそんなに難しい本ではありません。下で解説しているように、もともと高校を卒業したくらいの人をメインターゲットにしていた雑誌の連載ですし、そういう人たちに実際に読まれて、現在も文庫本として生き残っているわけです。さすがに古い本なので、言い回しにも考え方にも古臭いところはあり、この本が言っていることを「理解したくない」人には格好の攻撃材料になるかもしれませんが、しかし実際に「難しい本」ではありません。ちょうど1/2a + 1/3a = 5/6aを「理解したがらない」中学生と同じで、わからないのはたいていの場合、難しいからではなく「わかりたくない」からです。本は逃げませんから、そういうときにはさっさと見切りをつけて、いつかわかりたくなったときにまた読んでみればいいだけのことです。

なんだかんだで結局クドクドしてしまいましたが、女性にも男性にも、大人にも読んで欲しい一冊です。

-少し解説-
講談社の「若い女性」は「未婚の社会人女性」を対象とするファッション雑誌で、昭和30年(1965年)の創刊から1982年の休刊まで27年間刊行されました。グーグルで画像検索すると、いつごろのものかはわかりませんが、表紙の写真がいくつか見つかります。ここでいう「未婚の社会人」とは「高校を卒業してから結婚するまで」の期間、具体的には18~23歳くらいを指します。当時の習慣や意識が現在とは異なることに注意してください。昭和30年に18~23歳の人は、昭和7~12年(1932~1937年)生まれです。

念のため数字も示しておきます。内閣府が公開している平成18年版 青少年白書(概要)第1部 第1章に掲載された第3図によると、昭和30年当時の女性の「平均初婚年齢」は23.8歳でした。女性の進学率は、しっかりと調べたわけではありませんがおよそ、同じ昭和30年の数字で、高校進学率が50%弱、大学進学率が5%くらいだったようです。おそらくですが、当時ファッション雑誌を読んでいたのはかなり先進的な層だったろうと想像でき、典型的には「高校を卒業した都会の社会人女性」が想定されていたのでしょう。

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2021.10.22 22:08 | 固定リンク | 本の紹介
図書館に行ってきました
2021.10.12
このところ検討している蔵書活用の助けになればと、近隣の図書館へ宣伝に行ってきました。この場を借りて、対応して下さった職員の皆様、親切に道を教えていただいた地元の皆様にお礼申し上げます。今回は極端な駆け足でしたが、そのうちにまた改めて、ゆっくり本を読みながら各館を巡ってみたいと思います。
2021.10.12 18:46 | 固定リンク | 未分類
なぜどのように「わからなく」なるか 後編
2021.10.09
前編からの続きです。

ここで苦労する生徒は、大きく2パターンに分かれます。いっぽうは、教室でやり方を習ったときには問題が解けたのに、しばらく後で同じ質問をするとまた同じところで止まってしまうタイプです。こういう生徒は、決してやる気がないわけでも記憶力が悪いわけでもなく、自分の担当範囲が「計算作業だけ」だと信じ切っている場合がほとんどです。先生に「こうやって解きなさい」と指示されるのを、当然のことのように待っています。この誤解を解くのは大変で、本人が「自分は正当に努力しているのに不当な要求をされている」と感じてしまわないよう、十分配慮しなければなりません。

もうひとつ注意が必要なのは、この「指示待ち」姿勢が単純に悪いものではなく、指示を待てるというのはひとつの能力だということです。問題は、普通の生活の中で「待つ」と「待たない」の両方がある程度は求められ、たいていはその使い分けを自分でやる必要があることです。たとえば仕事をするにしても、どんなときも指示されたこと以外絶対してはならないというのは、よほどの危険を伴う業務に限られるでしょうが、いつでも指示を待たずに行動できるのがよいという職種も多くはないでしょう。その判断をするために、両方に習熟してメリットとデメリットを比較できれば理想的ですが、少なくとも両方を経験しておく必要はあるでしょう。本格的に「数学を使う」仕事に就く人はごく少数なのに、中学校で全員が数学を習うのは、こういう問題となるべく早い時期に向き合っておくためでもあります。

もういっぽうは後戻りができないタイプで、算数の練習量が多かった生徒に多く見受けられます。中学入学くらいまでの成績は優秀で、解き方を自分で探ろうとする意識も持っていることがほとんどですが、いったん自分が「心地よい」やり方を発見すると、見直したり修正したりといったことができなくなりがちです。より効率のよいやり方を教わっても、理屈をつけて自分のやり方を守ろうとします。この「理屈をつける」部分が素直に丁寧に行われる分には、よく考えて納得してからやり方を変えるという美徳になりますが、どう考えても今までのやり方では不足なようだと知ってなお後戻りができないときには、勉強や努力自体に否定的な態度になってしまうこともあります。

専門的にどのように評価されているのか知りませんが私の経験上、成績に響いてくるようになるタイミングに性差があり、男子生徒では中学3年から高校1年くらい、女子生徒では高校2年から3年くらいが典型的です。出口となる考え方には2面あり、学習に限らず生活全般で「心地よさ」を過剰に求めないで済むような配慮と、年齢相応に「どう理屈をつけても現実になんとかする以外ない問題」に向き合うような促しが、どちらも重要です。余談ながら、私が通っていた当時の予備校はまさに後者の一本槍で、冷徹に「今年が去年と同じなら、来年も今年と同じだよ」と言われて大きく伸びた生徒も、挫けてしまった生徒も、両方たくさんいました。私自身は「今やりたくないことがあるなら、やってもいいなと思うことを先にやって、少し経験を積んでから考えた方が得だろう」という考えで、本人に強い希望がある場合を除き、本当に難しいことは先送りと再挑戦を繰り返すよう心がけています。
なぜどのように「わからなく」なるか 前編
2021.10.09
まなびやでは、たとえ受験科目に数学がない大学受験生であっても、時間が許せば最初に数学の授業をしている、という話を以前少し書きました。その中でもとくに重要なのがこれです。

問題自体は、中学生でもほとんどの生徒が解けます。

しかし大切なのは、生徒の頭の中で問題がどう扱われたかです。素朴に「aが2つとaが3つだから、合わせるとaは5つ」と考えても正しい答えが出ます。

この理解は便利なようですが、実は大きな落とし穴があります。

たとえばこの問題が解けません。分数くらいなら頭の中で解決できる力自慢がいるかもしれませんが、π(円周率)やe(ネイピア数)のような無理数だとか、単に文字でxとかyとか言われた場合には対応できなくなります。

より使い回しが広い理解は、たとえばこのようなものです。

微積分が登場するまでの間は「掛け算は面積、面積は掛け算」だけで押し切れるので、いわゆる「同類項」は「高さが同じだから横に並べられる長方形」と同義だと見て大丈夫です。

これさえ覚えて帰ればいいだけなので、何の問題もないように見えます。しかし実際は、一筋縄ではありません。後編に続きます。
ライラの冒険
2021.10.05
左から、黄金の羅針盤 上(ISBN 978-4-10-202411-9)、黄金の羅針盤 下(ISBN 978-4-10-202412-6)、神秘の短剣 上(ISBN 978-4-10-202413-3)、神秘の短剣 下(ISBN 978-4-10-202414-0)、琥珀の望遠鏡 上(ISBN 978-4-10-202415-7)、琥珀の望遠鏡 下(ISBN 978-4-10-202416-4)

続きもので、英語版のシリーズ名は「His Dark Materials」といいます。

実は正直なところ、私にはどこがいいのかサッパリわからない本です。カーネギー賞、ウィットブレッド賞(現コスタ賞)、ガーディアン賞と輝かしい受賞歴があり、BBCとHBOが製作したテレビドラマ「ダーク・マテリアルズ/黄金の羅針盤」も評判がいいらしいので、きっと素晴らしい作品なのでしょうが、私にはまったくよさがわかりません。以前紹介したナルニア国物語と対にして言及されることが多い作品なので、自分の趣味を押し付けたいだけで本を紹介しているわけではないぞという「公平さアピール」のため、隣合わせにして本棚に置いてはありますが、私自身は100ページも読まないうちに放り出した本です。

だいたい、一人の人が100の「よいもの」に出会ったとして、そのうち「これはいいな」と気付けるものが4か5もあれば立派なもので、実は中身のないものを「よい」と錯覚している数の方が多いのが普通です。本を読むことに限らず何か新しい経験をしようというときに、肩肘を張った考えが邪魔をしてしまうことはよくあることですが、もっと気楽にやろうよと呼びかけるにはまず自分からということで、いちばんわからない本を紹介してみました。

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ナルニア国物語
2021.10.05 16:51 | 固定リンク | 本の紹介
英語話者が発音しにくい日本語
2021.10.01
開店休業が続いているので、授業中に織り交ぜている小ネタを紹介してみます。もし日本語が母語でない読者がいたら、ぜひ挑戦してみてください。

シンプルなもの1
あんな残忍なことは誓ってもう一生しない。
[あんな ざんにんな ことは ちかって もういっしょう しない。]
(I'll never commit such a cruelties again for my whole life, I swear.)

シンプルなもの2
いい加減にしろと怒ったが、体のいい言い訳に言いくるめられた。
[いいがげんに しろと おこったが、ていのいい いいわけに いいくるめられた。]
(Though I was angry and said "It's enough", I was lulled into his plausible excuse.)

固有名詞1
高田馬場は高田早苗が馬場を開いた場所だというのは誤った話だ。
[たかだのばばは たかたさなえが ばばを ひらいた ばしょだ というのは あやまった はなしだ。]
(It is incorrect to say that Takadanobaba is the place where Takata Sanae established his riding ground.)

固有名詞2
庚さんと菅野重さんは生笹蒲鉾を勧めたが、笹さんと佐々さんはそそくさと立ち去った。
[かのえさんと かんのえさんは なまささかまぼこを すすめたが、さささんと さっささんは そそくさと たちさった。]
(Mr. Kanoe and Mrs. Kannoe offered Miss. Sasa and Mr. Sassa Nama-sasakamaboko, but they left hastily.)

専門用語1
部分分数分解は実体であって操作ではない。
[ぶぶんぶんすうぶんかいは じったいであって そうさではない。]
(A partial fractional decomposition is an entity, not an operation.)

専門用語2
可換環論と非可換環論の根本的な違いは、環の元が可換か非可換かという点にかかっている。つまり、可換環の元は演算に対し可換であるし、非可換環の元は演算に対し非可換である。
[かかんかんろんと ひかかんかんろんの こんぽんてきな ちがいは、かんの げんが かかんか ひかかんか というてんに かかっている。つまり、かかんかんの げんは えんざんに たいし かかんであるし、ひかかんかんの げんは えんざんに たいし ひかかんである。]
(The fundamental difference between commutative and non-commutative ring theory depends on whether the elements of the ring are commutative or non-commutative. In other words, the members of a commutative ring are commutative with respect to the operation, and the ones of a non-commutative ring are non-commutative with respect to the operation.)

余禄。日本人も発音しにくい、いわゆる早口言葉。
この竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけた
私はこれが一番難しいと思います。
2021.10.01 22:21 | 固定リンク | 雑談

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