ピノッキオの冒険
2020.07.19
左から、伊語版(ISBN 9798632367042)、Lucas英訳(ISBN 978-0-19-955398-3)、杉浦訳(ISBN 4-00-114077-2)
日本でも有名なイタリアの児童文学です。最初に断っておきたいのですが、この本は文学作品として見ると三流のものです。わざとらしく、おおげさで、説教臭い話が、作者のご都合通りに取って付けたような調子で続きます。ではなぜわざわざ紹介するのかというと、オックスフォード版の英訳が安価に入手できるからです。
たんに「オックスフォード大学出版が出している本」というだけなら、まなびやの蔵書でいうと「トムは真夜中の庭で」なんかもオックスフォードの本なのですが、このピノッキオの冒険にはそれなりの分量の注釈や参考資料がついていて、しかも内容はごく簡単なものなので「注のあるの本」の入門としてうってつけです。
文学部(とくに英文科)志望の生徒であれば、もう少し本格的な作品に挑戦してみるのも悪くないのかもしれませんが、この本が「文学作品としては不出来」であることにもうひとつのポイントがあります。というのは、大学で教わる「文学」が「社会学」の方面に引っ張られる現象が何十年も続いており、文学部で「研究対象」になるのはたいていこの手の本だからです。
たとえばこの本には「傷病を装うキツネとネコ」が登場します。当時問題になっていた「傷痍軍人を装う詐欺師」を意識していることが見え透いており、ここを取り上げて議論をするのは、かなり取り組みやすい課題であるだけでなく、現代の社会問題の理解を助ける有用な研究になり得ます。社会が福祉を提供するようになれば、それを詐取しようとする人が出てくるのは当然で、福祉の提供をやめない限り根本的な解決はできません。もちろん、時代が下って制度が整えばあからさまな例は減るでしょうが、現代にも似たような問題が、より複雑でわかりにくい形になって残っているはずです。
こういう議論がしたいとき、以前傑作として取り上げたオズの魔法使いのような作品は、抽象的な事柄を巧妙に描いている分、材料として扱いにくくい傾向があります。またピノッキオの冒険は、たとえ短慮浅慮があったとしても、当時の社会にあった問題を小手先で扱おうとはしておらず、だからこそ「三流」に踏みとどまって、読者にはそれなりの読書体験を、研究者には歯ごたえのある研究材料を提供することに成功しています。文学を学ぼうとする生徒には、そういった事情やバランスを体験する機会も貴重なものでしょう。
蛇足ながら、このle avventure di pinocchioは私が生まれて初めて買ったイタリア語の本で、中身はまったく読めません。本を本棚に並べるのが私の趣味なので、読めなくても別に構わないのですが、イタリア語を勉強したい人に利用していただけたら、ただ置物にするよりはずっと、本の価値も出るのかなと思います。
-関連記事-
図書貸出のお知らせ
オズの魔法使い
日本でも有名なイタリアの児童文学です。最初に断っておきたいのですが、この本は文学作品として見ると三流のものです。わざとらしく、おおげさで、説教臭い話が、作者のご都合通りに取って付けたような調子で続きます。ではなぜわざわざ紹介するのかというと、オックスフォード版の英訳が安価に入手できるからです。
たんに「オックスフォード大学出版が出している本」というだけなら、まなびやの蔵書でいうと「トムは真夜中の庭で」なんかもオックスフォードの本なのですが、このピノッキオの冒険にはそれなりの分量の注釈や参考資料がついていて、しかも内容はごく簡単なものなので「注のあるの本」の入門としてうってつけです。
文学部(とくに英文科)志望の生徒であれば、もう少し本格的な作品に挑戦してみるのも悪くないのかもしれませんが、この本が「文学作品としては不出来」であることにもうひとつのポイントがあります。というのは、大学で教わる「文学」が「社会学」の方面に引っ張られる現象が何十年も続いており、文学部で「研究対象」になるのはたいていこの手の本だからです。
たとえばこの本には「傷病を装うキツネとネコ」が登場します。当時問題になっていた「傷痍軍人を装う詐欺師」を意識していることが見え透いており、ここを取り上げて議論をするのは、かなり取り組みやすい課題であるだけでなく、現代の社会問題の理解を助ける有用な研究になり得ます。社会が福祉を提供するようになれば、それを詐取しようとする人が出てくるのは当然で、福祉の提供をやめない限り根本的な解決はできません。もちろん、時代が下って制度が整えばあからさまな例は減るでしょうが、現代にも似たような問題が、より複雑でわかりにくい形になって残っているはずです。
こういう議論がしたいとき、以前傑作として取り上げたオズの魔法使いのような作品は、抽象的な事柄を巧妙に描いている分、材料として扱いにくくい傾向があります。またピノッキオの冒険は、たとえ短慮浅慮があったとしても、当時の社会にあった問題を小手先で扱おうとはしておらず、だからこそ「三流」に踏みとどまって、読者にはそれなりの読書体験を、研究者には歯ごたえのある研究材料を提供することに成功しています。文学を学ぼうとする生徒には、そういった事情やバランスを体験する機会も貴重なものでしょう。
蛇足ながら、このle avventure di pinocchioは私が生まれて初めて買ったイタリア語の本で、中身はまったく読めません。本を本棚に並べるのが私の趣味なので、読めなくても別に構わないのですが、イタリア語を勉強したい人に利用していただけたら、ただ置物にするよりはずっと、本の価値も出るのかなと思います。
-関連記事-
図書貸出のお知らせ
オズの魔法使い