読書感想文は怖くない 後編
2021.11.04
前編からの続きです。

たとえば物語を読むとき、小さな子供は登場人物と自分を区別しないのが普通です。それどころか、3歳くらいまでの子供だと、見聞きしたことが「誰の」経験かという発想自体が希薄です。専門的な説明は下の外部リンクに譲りますが、発達心理学では「心の理論」と呼ばれます。私の考えでは、この受け取り方は単に未熟なやり方ではなく、物語を読む上でたいへん重要です。物語のもっとも感動的な、美しい、あるいは恐ろしい場面を読むとき、私たちはそれが誰の経験であるかを忘れます。文学作品を鑑賞するときには欠かせない受け取り方ですが、ここでは、私たちの中にそういう混同の性質があるということだけ確認しておきましょう。出発点が「混同」であったからには、年齢相応の読み方というのは「区別」の度合いによると考えるのが自然です。

区別をアピールするいちばん初歩的な方法は「自分なら」という表現を使うことです。物語を読んで「自分なら~~」と言えるということは、自分と登場人物は別人だと意識している、区別ができているということを示します。さらに、では登場人物と自分はどこが違うのか、なぜ違うのか、いつでも違うのか、ということに注意して読んだ、とアピールします。もしできれば「自分なら」だけでなく他の人、たとえば「弟なら」「おばあちゃんなら」「別の登場人物なら」と置き換える相手を変えてみるとか、置き換える方向を変えて「この登場人物が自分なら」としてみるとか、そういう工夫があるともっとよいでしょう。区別とは反対に、どこが同じかに注目するのも有効です。この登場人物のこういうところは誰々と似ている、この行動は(場面は違うけれど)実生活のこういう行動と同じだ、といったことに注目します。

小学校の読書感想文なら、上に挙げたくらいで満点近いアピールになるでしょうが、中学生の場合はもうひと頑張り欲しいところです。どこで頑張るのかというと、より多くの情報を「書いてあることの中から」引き出すという点です。よくある誤解で「登場人物の気持ちを答えなさい」という質問を「予想の問題」だと思い違いしている生徒がいますが、そうではなく、行動の理由や解釈に関わることが別の場所に書いてあるから、それを探して答えなさいという趣旨の質問です。「書いてあることと書いていないことの区別」と言い換えてもよいでしょう。つまり、他の所にこう書いてあったからこの登場人物はこう考えているのだとわかる、という話と、どこにも書いてはいないけれど自分はこうだろうと思った、という話の区別をはっきり示すことが大切です。もしできれば「この本が書かれた頃にこういう事情があったから」「この本が書かれた国にこういう習慣があったから」など、書いてあることでも自分の判断でもなく別の勉強の成果から、何か付け足しができれば言うことがありません。

高校生になれば読書感想文が課題になることも減るでしょうが、課題文付きの小論文などでも考え方はそう変わりません。点数を取るために重要なのは「書き言葉を正しく使える」「課題文をちゃんと理解した」「それらをアピールしながら書ける」ということであって、書いた内容自体に点数がつくことはまずありません。もし物語を読む機会があったら、視点の切り替えを試してみるとよいでしょう。ひとつの出来事でも、見る人によって「意味」や「解釈」が異なります。この登場人物にとってはこういう出来事であったけれど、あの登場人物から見るとこういう出来事であっただろう、といった考え方ができることは、文学作品を読むときに有用なだけでなく、普通の生活の中でも重要な能力です。

-参考外部リンク-
心の理論@脳科学辞典

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