理科の実験について考えたこと
2021.05.01
何度も紹介している放送大学の番組ですが、私もビデオに録画してはいつも観ていて、ふと理系の科目の実験の面白さに気付きました。自分自身について思い返してみると、小学校から高校まで、理科の実験というのはあまり好きではありませんでしたが、放送大学の番組で紹介される実験はどれも楽めています。

そこで、あくまで私一人の体験が基準ではありますが、面白い実験というのはどういうものなのか、少し考えてみました。もちろん、スタジオで録画した授業を放送するという放送大学の仕組みや、おそらく中学校や高校よりは豊富に使えるであろう予算や装置や人員の恩恵もあるのでしょうが、実験の中に「わからなさ」が巧みに組み込まれているのも特徴なのではないかと思います。

中学高校の理科の実験は、作業を安全に実施したり結果を損なわない工夫をしたりという「実技」の側面ももちろん重要ですが、基本的には習ったことが実際そのとおりであることを「確認」することに力点を置きます。放送大学の実験も、とくに化学系の教科では確認を主目的とすることがほとんどですが、私の見立てでは、実験を行うタイミングに特徴があります。ひとまず机上で習ったことが、なにしろ大学の先生が教えている話なので正しいに違いないと頭ではわかっていますが、まだ腑に落ちず疑わしく思っている段階で「実際こんなことが起こりますよ」という見せ方が多いのです。

もちろん、しっかりと段階を踏んで、座学の内容を理解してから実験に移るのがいけないわけではありません。しかしそのバランスをあえて崩し「わからなさ」を持ったまま実験に臨むこと、実験をした後にも「わからなさ」を残して次の興味につなげることが、難度は上がりますがより高い効果を望めるやり方なのでしょう。

まなびやも学習塾としては「実演して見せる」教え方が多めで、教室にも虫眼鏡やらタコ紐やらトランプやらの小道具を用意していますが、より効果的な活用をもう一度考えてみたいと思います。

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放送大学の授業と印刷教材
中学2年生も高校2年生も「過去問」は今すぐ
2021.03.18
いわゆる受験シーズンが終わり、現在の2年生が「受験生」になる時期がやってきました。志望校の「今年の試験問題」を確認していない人はすぐにでも確認しましょう。

普段の授業でも繰り返しているように、ゴールも確認せずにスタートを切るのは非効率です。これから1年で何をどのくらい身に付ける必要があるのか、そのために何ができて何をするべきなのかを、すっかり見通せるわけではもちろんありませんが、この機会にいったん検討しておくべきです。

1年分で十分なので、とにかくこの時期に過去問を解いてみて、今の自分と1年後になるべき自分のギャップがどれくらいあるかということだけでも、ぜひ知っておいてください。
「自分のタイミング」が大切
2021.01.26
それぞれの時点での「効率的な学習の進め方」について紹介します。しかしその前に「ノーミス最短コース」なんて不可能であって、目指すメリットもないということを、しっかりと確認して頂きたいと思います。それまでのやり方を見直し反省しなければならないタイミングというのがいつかは来るもので、何をどのように進めても「すべてが順調」なんてことはあり得ず、もしそういう結論が出たのなら「見直し反省する」ことに失敗しています。どうかこのことを、くれぐれも念頭に置いてください。

どれだけの賛同を得られる意見かわかりませんが、私は小学生にことさら勉強を、すくなくとも学校の勉強をさせる必要はないと考えています。学校でできなかったことわからなかったことを家庭で補う必要はあるでしょうし、次の日の授業の準備を決まった時間にするなど生活習慣の指導は有益ですが、この時期にもっとも大切なのは「悪い勉強」を強いないことです。勉強が「こなさなければならない作業」だとか「覚えたら終わるもの」だとか、まして「しなくて済むならしないだけ得なもの」だという誤解が生じると、それを解くための時間は十分あるとはいえ、膨大な根気と労力を要することになります。

中学校に入っても、1~2年生の時点で受験を意識して勉強する必要はほぼありません。数学だけは、最初から効率のよい方法で習うことにメリットがありますが、それ以外は「本人が学校で困らない程度」で十分です。事実なのではっきり言いますが、中学校のテストで何点を取ろうと、高校受験より後にはほとんど影響しません。大切なのは、初めて本格的に「学生」という身分になって、勉強を生活の中心に置かざるを得なくなった状況で、どうやって自分の生活を作るかということです。工夫することや順序良く学ぶことで、どれほど自分を楽にできるか知ることです。

中学校というのは学習の段階としてかなり特殊で、生徒によって「向き不向き」が顕著なうえ、量で押し切ることも可能です。つまり、中学校の勉強が向いている生徒ならまったく勉強しなくてもいい成績が取れますし、効率の悪い勉強でも量さえやれば(やらせれば)そこそこの結果が出ます。とても難しい状況ではありますが、私は「勉強が大変になってきたな」と本人が自覚したときが「新しい勉強」の始めどきだと思っています。それより前に周りがけしかけても、本人が必要だと思ってする努力でなければ、得るものより失うものが多くなるでしょう。

長々と説明した割に、なんのことはないごく普通の結論になりましたが、中学2年生までに限って言えば「困ってきたな」という自覚が「やり方を変えるタイミング」です。幸い田舎は高校受験のプレッシャーが緩いので、本人が学校で苦労しておらず、いわゆる難関私立や学区外受験を考えているのでなければ、体力や時間を勉強以外のことに費やして損になることはありません。もし困った教科が出てきたときは、それを「能力が劣っているからだ」と考えるのではなく、誰にでもやってくる「変えるタイミング」が、少し早めだったのだと理解するのが正解です。
勉強で身に付ける力
2020.10.08
中学校で習う教科の知識には、ほとんど役に立たないものもたくさんあります。私は学校と塾の教室以外の場所で「中点連結定理」を使ったことは人生で一度もありませんし、ユリが単子葉類でサクラが双子葉類だと知っていて得をしたこともありません。しかし、中学校で習う教科を通して身に付ける「力」は、どんな人にも必ず役に立つものです。

国語(現代文)で身に付けるべき力は「説明」です。説明を読んで理解できること、説明を聞いて不明な点を質問できること、口で説明できること、書面で説明できること、これらがある程度できるようになれば、国語の勉強はしっかり力になっています。中学校の古文は位置付けが難しく、ひとまずは、言葉にも考え方にも「成り立ち」とか「積み重ね」があるということを、なんとなくでも意識できればよしとして構わないでしょう。蛇足ですが、小学校でプログラミングを教えるくらいなら、国語の時間を増やしてコンピュータを使った文章入力(タイピング)を教えるべきだと思います。

数学で身に付けるべき力は「筋道」です。「こうならばこう」「こうしたいならこうでなければならない」「こうなったということはこうだったといってよい」「こうであればこうはならない」といった考え方がある程度できるようになれば、数学の勉強はいくらか力になっています。なにか問題を解決したいとき、なぜ上手くいかないか、どうなっていれば上手くいくか、そのためになにができるか、なにから試すのが効果的か、出てきた結果はどれだけ十分か、と順序良く考える意識が出てくれば、数学の勉強はしっかり力になっています。

英語で身に付けるべき力は「やりくり」です。世の中には自分と違う文化や習慣をもつ人たちがいて、思いもよらない行動や考え方があり、通じるところもあれば通じないところもある、ということがある程度理解できれば、英語の勉強は半分くらい力になっています。相手にとっては自分も「違う文化や習慣をもつ人」で、同じ言葉を使う人の間にも微妙な差はあり、お互いに工夫しないと上手くいかないことが、なんとなくでも感じられるようになれば、英語の勉強はしっかり力になっています。

社会で身に付けるべき力は「つながり」です。理科も中学範囲では社会を理解するための道具として考えるべきです。たとえば北海道は酪農がさかんです。酪農がさかんなのは広くて平らで適度に寒くて交通機関が発達しているからです。寒いのは緯度が高い(北にある)からですが、同じような緯度にあるイタリアや南フランスより寒いのは、シベリアから吹く風のせいです。寒くないと商品価値が高い米が主流になることが多く、寒すぎると牧草が育ちにくくなります。シベリアから風が吹くのは空気の重さが温度で変わるためで、地表近くでは寒いところから暖かいところに空気が流れ込みます。シベリアが寒いのは、結局は地球が丸いからです。こういったつながりを意識することがある程度できるようになれば、理科と社会の勉強はしっかり力になっています。
努力の基礎
2020.07.16
勉強に限らず、何かを学習して身に付けるということは、結局「自分を変化させる」ということです。だから「改められない人」は何をやっても伸びません。それ以上に「間違えられない人」はちっとも伸びません。どこを改めるべきなのか、自分で失敗せず他人に教わることができるというのは幻想です。

「勉強ができる、できない」に現在の成績は関係ありません。自力でどんどん間違えて、改めるべきところを探し、変化を積み重ねようという意識を持てたなら、それだけでもう「勉強ができる」状態にあると断言できます。ちょっと奇妙な言い方かもしれませんが、ここが原点、つまりプラスマイナスゼロの地点となり、そこから先は「悪い結果が出る前に変えなければならないところをいかに変えるか」「良い結果が出ないときに続けるべきことをいかに続けるか」という、努力の質の勝負になります。

勉強ができる状態を続けていくには、この「ゼロの地点」に到達するのがどれほど難しいか、マイナスの領域に引き込まれるのがどれほど簡単かを知らなければなりません。勉強ができない状態の例を挙げればわかりやすいでしょう。「間違えることを悪いことだと考えてしまう」「改めずに済ます方法をつい探してしまう」そのようなときにはマイナスの領域にいるのだと考えて間違いありません。つまり、自分を変化させることに行き詰った状態です。

もちろん、プラスの時期とマイナスの時期が交互にやってくるのは自然なことで、調子のいいときがいつまでも続くものではありません。しかし「勉強ができる、できない」が不安定なものであればこそ、そこに自分の意思で働きかけたり、また周囲の後押しを得たりすることで、いくらかは状態を変えられます。この感覚を自分のものにすることが「勉強ができる」ようになった第一の成果になります。

蛇足ながら、では応用力はどういうものかと考えると、目標を伴う努力のことでしょう。この段階に入ると、話は途端に複雑で難解になります。目標を設定し、何を身に付けなければならないか把握し、そのために利用できる環境や時間や費用を評価し、計画を立て、実践しながら修正していかなければなりません。正直に言いますが、どのように取り組むのが正解なのか、私もわかりません。しかし少なくとも、基礎力の堅牢さが応用力を支える要素になることだけは疑いようがありません。

現実には、万全の基礎力を固めてから応用に取り掛かれるのは、ごく一部の幸運な場合に限られます。困難な応用をなんとかこなしながら、基礎力も高めていかなければならないのは普通のことです。だからこそ、基礎に集中できる時間を大切にして、また目の前に切羽詰った課題があるときにも基礎を省みる余裕を持つことが、どうしても必要になります。
2分学習
2020.06.22
すべての生徒と保護者の方におすすめしている「毎日最低2分間の家庭学習」を紹介します。正しく継続すれば必ず力が付く方法で、大学受験が控えている生徒であっても、まずはこれができてから次を検討するのが結局近道です。やり方は簡単です。
  • 中1・2年生は学校で指示された課題や宿題を2分間に含めても構いませんが、中3・高校生については「自分で選んだ内容」で、たとえ学校の講習で12時間勉強した後でも、毎日家で2分間は勉強します。

  • 中学1・2年生は「机の整頓なども含め学校の授業を受けるのと同等の環境」で、中3・高校生はさらに「試験を受けるときと同等の緊張感」で勉強します。しっかり準備せずにやった分を「最低2分間」に含めてはいけません。

  • 勉強を始める時間はなるべく固定します。何かの都合で固定できない場合は、この時間に始められない日はこの時間にやる、といったように第2候補を作る案もあります。

2分間の勉強ができたら、あとはすべて自分の判断です。

この勉強法では、生徒よりも保護者の方にいくつか注意点があります。
  • 「毎日2分」という部分については一切の言い訳を認めない代わりに、それ以降の部分や勉強の内容は生徒に任せ、本人が助言を求めない限り口出ししないでください。メリハリが大切です。

  • 試験の成績が悪くても「毎日2分」さえできていたなら「満点」の取り組みとしてください。結果を評価するのは学校の先生の仕事、生活習慣を守り自主性を育てるのが家庭の役割、とはっきり区別します。

  • もしどうしても「勉強しなさい」「試験は大丈夫なのか」「何だこの成績は」と言いたくなったら、生徒本人以外の誰かを身代わりにしましょう(実はこれ、学習塾の大切な役割のひとつだと私は考えています)。

  • 失敗や効率の悪い努力もさせてあげてください。たとえば早朝や夕食前など後ろに予定が入る時間帯の勉強はおすすめしませんが、本人が望むならその時間帯で構いません。

とくに最後の1つが重要です。自力で間違えられない生徒は自力で正解できませんし、自力で失敗できない生徒が自力で成功することもできません。

もちろん、毎日2分どころではない勉強を自分の意思で何年も続けている生徒はたくさんいますから、これだけですべてを乗り越えられるわけではありません。ここで紹介した勉強法は、努力の質も量も無視して、ただ習慣化に手を付けるだけのものです。しかし、第一歩が着実で現実的なものであることは後々大きな助けになりますし、たとえ進学以外の進路を選んだとしても、きっと何かの役に立つ経験になるでしょう。
なぜ「学校と同じ」授業でないか
2020.05.10
まなびやでは基本的に「学校と同じ」授業をしません。学校の授業でわからなかったこと、もっと知りたかったことを補いたいと考えれば自然とそうなるものですが、実は同じ科目でも目的や環境や時期によってやるべきことが大きく変わります。

たとえば高校1年生の数学で「チェバの定理」「メネラウスの定理」というのを習います。まなびやの授業ではこれらをごく軽くしか扱いません。2年生以降で習う数学にほとんど役立たず、覚える覚えないだけが問題になり授業中に扱う価値が低いからです。受験対策としても、三角形の面積比やベクトルの考え方で代用できるため、必要か不要かは一概に言えないとしても、急いで覚えるべき優先順位が低いのは間違いありません。

しかし私がもし高校の先生だったらと考えると、定期テストの問題にはこの2つを必ず出すだろうと思います。それも、教科書や参考書に出てくる図形そのままで数字だけ変えた問題を「そっくりそのままテストに出すよ」と予告した上で出します。なぜそうするかといえば、努力の間口を広げるためです。学習した内容を理解して覚えて使いこなせたら言うことがありませんが、学校が生徒に成績を付けなければならない場所であるからには「理解できなかったし使いこなせないけれど覚えはした」という努力にも相応の評価をしたいからです。

似たようなことをやっているようでも、学校、塾、予備校など、それぞれに目的や生徒の需要が異なり、授業の内容も自然と違ってきます。まなびやでは「合計の労力」をできるだけ減らすことを原則に、後で習う内容を先取りして紹介することもあればすでに習った内容に戻って説明することもあり、今すぐでなく後になって役に立つやり方を奨励することもあれば理解しないまま問題だけ解けてしまう邪道な方法で急場を凌ぐこともあります。

人によって「合う合わない」は必ずありますが、みなさんの頑張りに対して少しでも多くの「得」があるように、できうるかぎり「損」をさせないように、ということをいつも心がけています。

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