あのころはフリードリヒがいた ほか
2020.11.11
左から、あのころはフリードリヒがいた(ISBN 4-00-114520-0)、ぼくたちもそこにいた(ISBN 4-00-114567-7)、若い兵士のとき(ISBN 4-00-114571-5)
 
最初にちょっと苦情を書いておくと、この3冊の本はもちろん互いに関連がある作品でしょうが、岩波書店が裏表紙側のカバーに書いている「続編」というのは、ちょっと誤解があるのではないかと思います。それぞれの作での42年の空襲のシーン、あのころはフリードリヒがいた220ページ、ぼくたちもそこにいた226ページ、若い兵士のとき34ページを読めば、これが別々の人の話であることはすぐわかりますし、全編を読み返したわけではありませんが私が覚えている限り、主人公が名前(作者である「ハンス ペーター リヒター」)で呼ばれるシーンは「若い兵士のとき」にしかありません。なお原作の初版は、左から、1961年、1962年、1967年です。

もうひとつ不幸なことに「あのころはフリードリヒがいた」から「ベンチ」の章が、教育出版の中学1年生向け国語教科書「伝え合う言葉」に採用されています。なぜそれが不幸なのかといえば、日本では、国語の教科書に載った本は「みんなが嫌いな本」になるからです。夏目漱石でさえ、その被害からは逃げ切れません。さらに悪いことに、よほど短い話でなければ、前後のつながりを分断された形で掲載されます。とくにこのリヒターの作品のような「最初から最後まで読んで初めて中身がある」本にとっては、悪夢のような仕打ちです。そういった不幸に巻き込まれた人たちには、この本を最初から、ぜひ巻末の「註」や「年表」を参照しながら、読んでみて欲しいと思います。

続編というのはちょっと、とケチはつけましたが、この3冊の本はやはり、写真で紹介している順に読むのがよいでしょう。とくに1冊めの「あのころはフリードリヒがいた」は、すべての人にとって貴重な経験になります。いま私たちが暮らしている以外にもたくさんの場所・時代・立場があって、私たちが知らない習慣・事情・考えがあり、私たちの想像を絶する出来事が起きるけれど、しかしそれらは私たちとまったく無縁の世界ではない、という経験です。だから、この話を読んで「何を言っているのかわからない」というのは正しい感想で、自分たちの常識や価値観だけでは測れない世界がある、ということを体験できた証拠になります。

3冊めの「若い兵士のとき」だけ構成が違い、註や年表がついておらず、断片だらけでまとまりに欠け、正直なところ読みやすくはありません。おそらくですが、作者が書きたかったのはこの3冊めで、先の2冊は読者にとっても作者にとっても「助走」みたいなものではないかと思います。冷静な目で見れば、先の2冊は失敗作(目指していたであろう「本当のこと」にまでは到達できなかった物語)だとも解釈できますが、その失敗を共有することでこそ、3冊めが伝えようとした現実のほんの端っこだけでも、うかがい知ることができるのかもしれません。

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2020.11.11 23:26 | 固定リンク | 本の紹介

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