日本人の英語シリーズ
2020.12.13
左から、日本人の英語(ISBN 4-00-430018-5)、続 日本人の英語(ISBN 4-00-430139-4)、実践 日本人の英語(ISBN 978-4-00-431420-2)
 
英語を専攻した日本人にとっては耳の痛い話ばかりが詰まった三部作です。

最初の本は「日本人の英語が奇妙なのは、ここに誤解があるからじゃないの」という指摘、2冊目は「書くのが苦手なのはたしかにそうだけど、そもそも読めてないんじゃないの」という考察、3冊目は「こう書くよりもこう書く方が、しっかりした英語になるよ」というレッスンを中心にしています。とくに1冊めは高校生では読めないというほど難しい本ではありませんが、受験英語に直結する内容でもないので、むりに急いで読むことはないかなと思います。

この本を読むと、日本人が英語を書くのがどれほど難しいか改めて実感できますし、間違いを探して修正できる作文と違い話すときには、いったいどれほどのデタラメを言っているか想像するのも嫌になりますが、そこで恐れをなしては本末転倒です。私の意見では、外国語である以上少しくらい間違えるのは当然のことで、間違えないようにしようと思ったとたん語学を学ぶのは不可能になります。これはまなびやの授業でもことあるごとに指摘している鉄則で、突き詰めれば、日本人が日本語で読み書きや会話をするときだって、常に100点満点の日本語を使っているわけではありません。ただ慣れているから間違っても気にならないだけなのです。

そうすると、前回紹介したような本物の達人を最終的には目指すのであっても、そのレベルに達するまではどんどん間違えて、間違えすぎて間違いに鈍感になって、間違いに気付いてもまだまだ間違えて、ということを繰り返す以外に、どうにもしようがないわけです。またその達人でさえも、ネイティブと同程度しか間違えないというだけで、まったく間違えないのでは決してありません。もしそのことに気付くことができたら、英語だけでなくあらゆる勉強や練習に応用できる、貴重な体験になります。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
2020.12.13 23:52 | 固定リンク | 本の紹介
読む辞典
2020.12.13
左から、英語類義語活用辞典(ISBN 4-480-08756-7)、日英語表現辞典(ISBN 4-480-08807-5)
 
これは凄い本です。編著者は「戦後日本最初の英文コラムニスト」で、しかもその仕事を26年間続けたというのですから、まるで想像もつかないほどの英語の達人です。そのノウハウの一部が、読み物としても十分楽しめる体裁でまとめられています。

この本を手に取って欲しいのは、他の誰よりもまず「自分は英語が得意だ」とか「英語の勉強が好きだ」と思った高校生です。何年生でも構いませんから、そう思ったらすぐにでも、この本を読んでみるべきです。中学生には少し難しいかもしれませんが、中身を眺めてみて大変そうなら「いつか読んでみよう」と後回ししてもよいでしょう。野球が好きな中高校生もサッカーが得意な中高校生も、美術が好きな中高校生も楽器が得意な中高校生も、その分野の「スター」をすでに知っています。あなただけが知らずにいるのは大損です。

英文科に進んだ大学生には、いいから買うだけ買って手元に置いておきなさいと、強く勧めます。決して損はしません。もしこの記事の読者が大人で、知り合いに英文科へ進む生徒がいたら、ぜひ入学祝に贈ってあげてください。2冊や3冊ダブって持っていてもまったく差し支えない本です。英文科でない文学部の生徒も、手には取ってみて欲しいと思います。

もちろん、タイトルにある通り辞典としても使えます。類義語辞典は1979年、表現辞典は1980年の初版ですが、単語の用法は古くなっても言葉の理解自体は古くなりません。大人の読み物あるいは教養書として、英作文のアンチョコとして、読書のお供に、きっと活躍してくれるでしょう。

なお、日本人が英語を書くのがどれだけ難しいか、という話題には次の記事で触れます。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
2020.12.13 22:21 | 固定リンク | 本の紹介
英文法の本
2020.12.13
英文法の「なぜ」(ISBN 978-4-469-24623-0)

これは「文法を覚えさせる」ための本ではなく、どうしてそういう仕組みになったのかを、歴史を紹介しながら解説してくれる、なかなか画期的な本です。書いてある内容は平易で、しっかり勉強していれば高校入学前の春休みくらいに読んでも理解できる生徒はいるだろうと思います。

言葉を勉強するということは、歴史や習慣や感じ方や考え方を勉強するということ、まとめていえば文化を勉強するということであって、それらを無視して機械的な反復練習だけに頼るのは、無駄に遠回りな道になります。とすると英語の成り立ちについての説明は英語教育の中で普通に行われているはずですが、この本が画期的なのは、現代英語を勉強する上で頭を悩ませるだろう問題をずらりと解説しているところです。また従来、大学で教わる英語の歴史は、たいてい「英語の歴史を理解するための」ものであって、中高生のとき悩んだであろう疑問を解決するためのものでないのが普通でした。

ただこの本が大学受験の英語に役立つかというと、話がスッキリした状態で勉強を進められるメリットはあるものの、直接的なご利益はそう多く期待できないかもしれません。そういう意味では、受験が終わった春休みのちょっと空いた時間に読むとか、英語を勉強し直したい大人が手始めに読んでみる、といった使い方の方が適しているかもしれません。文学部に入学する生徒でなくても、自分が勉強したことの後ろにどういう歴史の繋がりがあったのか、その手ががりにだけでも触れておくのは決して損になりません。読み物としても十分に楽しめる本です。

考える英文法(ISBN 978-4-480-09910-5)

今度は正真正銘「英文法の勉強の本」です。1966年に出版された本の復刻版で、冒頭「はしがき」によると対象読者は「高等学校二三年生以上」となっており、ようするに高校の英文法を一通り学んだ後に知識を整理するための本です。

たしかにこの本はあらゆるところが古く、次から次と波のように押し寄せる教え方も古ければ、擬似関係詞だの代不定詞だのヨクワカラナイ用語が出でもきますし、出版から50年以上経ち英語が変化してしまった部分もあります。しかしそれでも、例文を厳選し、丁寧かつ簡潔に説明しながら、実際の試験問題まで盛り込んで、これだけの範囲をカバーしてあることには、一定の意義があります。少なくとも、ただ解いては答え合わせを繰り返すタイプの「文法ワーク」よりも、はるかに効果的でしょう。これも、以前紹介した単語帳のDUO selectと同様「どうせやるならこれがいいんじゃないか」というものです。

なお、この本はまなびやの分類では「教材」扱いでないため、貸出の対象になります。あくまで「読む」ための貸出なので、問題集として本格的に「解きたい」人は自分で購入してください。

<英文法>を考える(ISBN 978-4-480-08230-5)

タイトルに「英文法」とありますが、これはある種の「レトリック」で、1999年出版当時の「最近の言語学」が諸問題をどう扱っているかについて、英語を例に取りながら紹介する本です。そのため、高校生が英語の試験勉強のためにこの本を読んでも、ほとんど効果は期待できません。そういうわけで、万人にお薦めする本ではありませんが、文学部に進んだ大学生なら、言語学を学ぶ機会が乏しい専攻であればなおさら、手に取ってみる価値はあるでしょう。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
2020.12.13 19:11 | 固定リンク | 本の紹介
受験術の本
2020.11.30
数学受験術指南(ISBN 978-4-12-205689-3)

最初に断っておきたいのですが、これは古い本で、1981年に出版された本の文庫版です。書かれたのは著者の言う「ガンバリズム」の全盛期で、著者自身が経験した「受験」も今とはまったく異なるものだったことは、気に留めておかなければなりません。とくに第1章は、当時の受験教育の様子を知らない人には何を言っているのかわかりにくいでしょう。

しかしそこさえ差し引いておけば、第2章以降は、これから受験をする人にも、かつて受験をした人にも、面白い読み物になってくれます。全体としては「わからないことがないように準備する」「ガンバリ」は効率が悪いから「わからないことに対して理屈の通った答えが出せる」「ウマイコト」を目指してみようという論調で、採点の現場を経験したからこその裏話や、著者自身の受験体験、自分の専門分野である数学の宣伝など、寄り道もバランスよく交えながら、一気に読める程度の分量で書かれています。

京都大学の教授が書いた本、と聞くと難しそうな印象を持つかもしれませんが、小難しいことは書いてありません。巻末のほうに、著者が「毎日中学生新聞」に寄稿したというコラムがいくつか転載されており、文章の難しさは本編と似たようなものです。初めてこの本を読む人は、217ページの「解説」から読み始めると、面食らうことなく楽しめるでしょう。

キミは何のために勉強するのか 試験勉強という名の知的冒険2 (ISBN 978-4-479-19052-3)

タイトルの酷さが壮絶すぎて、思わずフルタイトルで掲載してしまいました。以前書いたように、私は本棚に本を並べるのを趣味にしているのですが、生まれて初めて「ブックカバー」なるものを買ってしまおうかと本気で考えました。

私の個人的な思いはさておき、これは「教える科目や学年に関わらず、先生になりたい人」にぜひ読んで欲しい本です。受験生の親の読み物としても、多少の読みにくさを克服できるなら面白い本ですが、子供にこれを「読ませよう」とはしない方が無難です。タイトルに「2」とついているからには「1」も出ており、まなびやの蔵書にも入っていますが、こちらは「2」が気に入った人だけ手に取ってみればいいかなと思います。

この本が言っているのはようするに「高校までの勉強でちゃんと『 抽象性』を身に付けておいてよ、でないと浪人してからの1年間じゃどうにもできないよ」(かなり悪意のある意訳)という訴えと、その抽象性を身に付けるための方法論、あとは「自己不信は恐ろしいよ」とか「むやみに可能性の幅を狭めるのは損だよ」といった忠告です。初版の2012年から8年経ち、受験生が抽象性を扱う能力は低迷の一途を辿っていますから、私を含め「子供に教える」立場の者なら一度は考えてみるべき内容です。

最後に、この本を手に取った、あるいはタイトルだけ見て手に取らなかった受験生に言っておきたいのですが、著者は予備校の英語の先生として最優秀の人です。私も浪人したときに1年間受講し、ちゃんと成績も伸びました。そのことは言い添えておきたいと思います。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
2020.11.30 22:42 | 固定リンク | 本の紹介
あのころはフリードリヒがいた ほか
2020.11.11
左から、あのころはフリードリヒがいた(ISBN 4-00-114520-0)、ぼくたちもそこにいた(ISBN 4-00-114567-7)、若い兵士のとき(ISBN 4-00-114571-5)
 
最初にちょっと苦情を書いておくと、この3冊の本はもちろん互いに関連がある作品でしょうが、岩波書店が裏表紙側のカバーに書いている「続編」というのは、ちょっと誤解があるのではないかと思います。それぞれの作での42年の空襲のシーン、あのころはフリードリヒがいた220ページ、ぼくたちもそこにいた226ページ、若い兵士のとき34ページを読めば、これが別々の人の話であることはすぐわかりますし、全編を読み返したわけではありませんが私が覚えている限り、主人公が名前(作者である「ハンス ペーター リヒター」)で呼ばれるシーンは「若い兵士のとき」にしかありません。なお原作の初版は、左から、1961年、1962年、1967年です。

もうひとつ不幸なことに「あのころはフリードリヒがいた」から「ベンチ」の章が、教育出版の中学1年生向け国語教科書「伝え合う言葉」に採用されています。なぜそれが不幸なのかといえば、日本では、国語の教科書に載った本は「みんなが嫌いな本」になるからです。夏目漱石でさえ、その被害からは逃げ切れません。さらに悪いことに、よほど短い話でなければ、前後のつながりを分断された形で掲載されます。とくにこのリヒターの作品のような「最初から最後まで読んで初めて中身がある」本にとっては、悪夢のような仕打ちです。そういった不幸に巻き込まれた人たちには、この本を最初から、ぜひ巻末の「註」や「年表」を参照しながら、読んでみて欲しいと思います。

続編というのはちょっと、とケチはつけましたが、この3冊の本はやはり、写真で紹介している順に読むのがよいでしょう。とくに1冊めの「あのころはフリードリヒがいた」は、すべての人にとって貴重な経験になります。いま私たちが暮らしている以外にもたくさんの場所・時代・立場があって、私たちが知らない習慣・事情・考えがあり、私たちの想像を絶する出来事が起きるけれど、しかしそれらは私たちとまったく無縁の世界ではない、という経験です。だから、この話を読んで「何を言っているのかわからない」というのは正しい感想で、自分たちの常識や価値観だけでは測れない世界がある、ということを体験できた証拠になります。

3冊めの「若い兵士のとき」だけ構成が違い、註や年表がついておらず、断片だらけでまとまりに欠け、正直なところ読みやすくはありません。おそらくですが、作者が書きたかったのはこの3冊めで、先の2冊は読者にとっても作者にとっても「助走」みたいなものではないかと思います。冷静な目で見れば、先の2冊は失敗作(目指していたであろう「本当のこと」にまでは到達できなかった物語)だとも解釈できますが、その失敗を共有することでこそ、3冊めが伝えようとした現実のほんの端っこだけでも、うかがい知ることができるのかもしれません。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
2020.11.11 23:26 | 固定リンク | 本の紹介
宮沢賢治の童話と詩集
2020.11.09
左から、新編 風の又三郎(ISBN 4-10-109204-4)(現行本はISBN 978-4101092041)、新編 銀河鉄道の夜(ISBN 978-4-10-109205-8)、注文の多い料理店(ISBN 978-4-10-109206-5)、ポラーノの広場(ISBN 4-10-109208-7)(現行本はISBN 978-4101092089)
 
宮沢賢治というのは不思議な人で、彼の童話はさらに奇妙です。好き嫌いは分かれますが、これを「嫌い」と知るだけでも、手に取った価値のある本です。

時代時代で、文学作品の価値とは無関係なところから、持ち上げられたり貶められたりといったことがあったとしても、宮沢賢治は(難しそうな言葉を使うことはあっても)難しいことをしないし書かない、という信頼さえ持つことができれば、彼の童話に強面なところはありません。

左から、宮沢賢治詩集(谷川編)(ISBN不明、現行本はISBN 978-4003107614)、宮沢賢治詩集(草野編)(ISBN不明、現行本はISBN 978-4101092034)

どちらも古本で買ったもので、岩波のもの(左)は「昭和二十五年十二月十五日 第一刷発行」、新潮のもの(右)は「昭和四十四年四月十日 発行」とあります。現行本がどうなっているのかわかりませんが、手元の岩波版は、仮名遣いや字体を勝手に変更しない編集で、安心して読めます。

-蛇足-
これは私の勝手な推測なのですが、宮沢賢治には「外国語を日本語で」読んでいたのではないかと思わせるところがあります。たとえば、
Dorothy lived in the midst of the great Kansas prairies, with Uncle Henry, who was a farmer, and Aunt Em, who was the farmer's wife.
The Wonderful Wizard of oz (L. Frank Baum) 第一章冒頭より

という英語があったとしましょう。普通はこれを

  1. Dorothy lived (in the midst (of the great Kansas prairies)), (with [Uncle Henry, (who was a farmer), and Aunt Em, (who was the farmer's wife)]).

  2. Dorothyは(the midst < the (great) Kansas prairiesに)([Uncle Henry <= a farmerとAunt Em <= the farmer's wife]とくっついて)生活していた。

  3. Dorothyは、大きなKansas平原の真ん中に、農夫のHenryおじさんと、その農夫の妻のEmおばさんと一緒に、住んでいた。

  4. ドロシーは、農夫のヘンリーおじさんと夫婦のエムおばさんと一緒に、おおきなカンザス平原の真ん中に住んでいた。

のように整理して読み、日本語に訳せと言われたのでない限り3番のところまでで解釈してしまいます。英語を読むことに慣れている人は2番くらいまで、毎日たくさんの英文を読んでいる人ならたいてい1番のままで読んでしまいます。

しかし宮沢賢治は「4番のところまで進めてから」読んでいたのではないか、というのが「外国語を日本語で」の意味です。根拠があってそう考えているわけではありませんが、彼が書いたものの調子だとか、いわゆる標準語を「外国語のようだ」と言っていたことなどから、どうもそういう気がしてなりません。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
2020.11.09 22:30 | 固定リンク | 本の紹介
草枕
2020.09.17
岩波文庫版(ISBN 4-00-310104-9)

近代日本文学の特異点、夏目漱石の「草枕」です。

漱石に限らず、明治~昭和初期のいわゆる近代文学は、読書の対象として「難しい」部類のものが大半ですが、そのように感じるのは実は、本を読む「文化」が大きく後退した証拠でもあります。読み手が「読み解く努力」をすることは当然で、辞書をはじめとした準備もしっかりやっているだろう、という前提が通用しなくなったということです。

では現代の人が「昔の」作法で、努力してまで本を読んで何かご利益があるのかというと、私は「ある」と信じていますが、実際にやってみた人にしか理解できない話になってしまうでしょう。この壁だけは本人が自力で乗り越えるしかないものです。

しかしそれでも、理解や鑑賞に努力が必要だという考え自体は、普遍的なものです。ごく素朴な問題として、書き手がどんなに優秀で熱意にあふれていたとしても、勉強しておらず努力する気もない相手に伝えられることなど、たかだか知れています。文学作品に限らず、たとえば数学の知識などでも同様で、基礎知識がない相手には説明が成り立ちませんし、ただ教わろうとしているだけの生徒は結局知識をものにできません。

本の中身と関係ない話が長くなりましたが、この草枕には、読者の労に報いるだけの「用意」があります。一度や二度では「ご利益」のあるところまで辿り着けないかもしれませんが、お手軽な読み物にはない「宝」がちゃんと埋められています。その最初の挑戦を、そしておそらくは最初の挫折を、高校生くらいのときに体験しておくことは貴重な財産になるでしょうし、もちろん、大人になってから読み始めてもまったく遅くありません。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
-参考外部リンク-
夏目漱石 余が『草枕』 (1906)@「ゆっくり考える」 think0298
鈴木三重吉宛書簡―明治三十九年@青空文庫(四四一を参照)
2020.09.17 16:39 | 固定リンク | 本の紹介
おくのほそ道
2020.09.15
左から、おくのほそ道(付 曾良旅日記 奥細道菅菰抄)(荻原校注)(ISBN 4-00-302062-6)、芭蕉俳句集(中村校注)(ISBN 4-00-302063-4)、芭蕉七部集(中村校注)(ISBN 4-00-302064-2)、芭蕉雑記・西方の人(芥川)(ISBN 4-00-319021-1)
 
日本文学の最高傑作「おくのほそ道」と、俳句集ならびに俳諧集、芥川による評論「芭蕉雑記」です。

現代の日本人がなぜ古文を習うのかといえば「おくのほそ道」を読むためです。異論反論がどれだけあったとしても、私の意見は変わりません。この本を読んで、楽しみ、芭蕉というのは凄い人だなと理解できたなら、たとえ学校の古文のテストが何点であったとしても、その人はしっかりと古文を学べていますし、古文を習った甲斐は十分にあったと言い切れます。

いきなり古典を読み始めるのは踏ん切りがつかない、という人は、写真右で紹介している芭蕉雑記から読んでみるのもよいでしょう。実のところあまり読みやすい解説ではありませんが、芭蕉の凄味をこれほど的確に紹介している評論は他にありません。芥川が自ら「指物師」と称した、なにか変わったことを言ってやろう、面白いことを書いてやろうとしすぎる悪癖がいたるところに見られるものの、内容は素晴らしいものです。

おくのほそ道は国語の教材として見ても、伝統的な作法での読書というと大げさですが、注を参照しながら読み進めることの体験にうってつけです。上で紹介した岩波版は菅菰抄も収録していますが、本格的に読むなら2冊用意して並べてもよいでしょう。そもそもの話として、文学作品を教材にするなら、文学史上の位置付けがどうだとか、当時の社会的な意義がこうだとかいう話の前に、文学作品として中身があるものでないと本末転倒だろうというのが私の意見です。

なお本文の解釈にも諸説ありますが、平成八年の自筆本(いわゆる中尾本、真贋の議論は未決着)以降よく言われる、五十韻形式(懐紙1枚目の表に八句、裏に十四句、2枚目の表に十四句、裏に十四句で一巻五十句に、名裏の六句を加える)と謡の構成(序・破・破・破・急)を意識しているという見方が自然に思えます。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
-参考外部リンク-
おくのほそ道@Wikisource
芭蕉雑記@青空文庫
続芭蕉雑記@青空文庫
面八句を庵の柱に懸置@夕立鯨油
2020.09.15 15:57 | 固定リンク | 本の紹介
キャッツ
2020.08.01
左から、英語版(ISBN 978-0-15-168656-8)、池田訳(ISBN 978-4-480-03137-2)、朗読(ISBN 978-0-571-27164-1)
 
いわゆる児童文学の紹介を続けていますが、いよいよ韻文が出てきました。ミュージカル「キャッツ」の原作として有名な詩集で、英語版は1982年のゴーリー挿絵、日本語訳は1940年のベントリー挿絵を掲載しています。

原著の英語はそう難しいものではなく、各出版社や書店の分類で「7~10歳向け」「8~12歳向け」「4~8歳向け」「14~16歳向け」とばらつきが大きいのは、詩としてしっかり読むなら中学生、たんに「お話」として読むなら小学生、大人が読み聞かせるなら就学前くらいが対象になる、と捉えておくのが妥当でしょう。朗読は明瞭かつ落ち着いた読み方で、聞き取りやすく模範的な発音です。

しかしネイティブでない人がこの本を自然に楽しむのは、日本人の場合高校までの英語教育で韻文をほとんど扱ってくれないハンデもあって、そう簡単ではありません。私自身、まず文字だけで(もちろん辞書を引きながら)読んで、朗読を聞きながら読んで、自分で声を出して読んで、くらいの手間はかけないと、さっぱり頭に入ってきません。だからこそ「自分は英語がちっともわかっていないな」ということを、誤魔化しがきかない形で再確認できます。

日本語訳はちょっと変わったスタイルで、原文を読むときの参考資料として使えるように配慮されています。脚注と後注が入り混じっていたり、レイアウトが改められていたりと変則的なところがあるものの、読者の手助けとしてありがたい構成です。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
-参考外部リンク-
1939年初版の自筆表紙@wikipediaEN
2020.08.01 16:02 | 固定リンク | 本の紹介
ピノッキオの冒険
2020.07.19
左から、伊語版(ISBN 9798632367042)、Lucas英訳(ISBN 978-0-19-955398-3)、杉浦訳(ISBN 4-00-114077-2)
 
日本でも有名なイタリアの児童文学です。最初に断っておきたいのですが、この本は文学作品として見ると三流のものです。わざとらしく、おおげさで、説教臭い話が、作者のご都合通りに取って付けたような調子で続きます。ではなぜわざわざ紹介するのかというと、オックスフォード版の英訳が安価に入手できるからです。

たんに「オックスフォード大学出版が出している本」というだけなら、まなびやの蔵書でいうと「トムは真夜中の庭で」なんかもオックスフォードの本なのですが、このピノッキオの冒険にはそれなりの分量の注釈や参考資料がついていて、しかも内容はごく簡単なものなので「注のあるの本」の入門としてうってつけです。

文学部(とくに英文科)志望の生徒であれば、もう少し本格的な作品に挑戦してみるのも悪くないのかもしれませんが、この本が「文学作品としては不出来」であることにもうひとつのポイントがあります。というのは、大学で教わる「文学」が「社会学」の方面に引っ張られる現象が何十年も続いており、文学部で「研究対象」になるのはたいていこの手の本だからです。

たとえばこの本には「傷病を装うキツネとネコ」が登場します。当時問題になっていた「傷痍軍人を装う詐欺師」を意識していることが見え透いており、ここを取り上げて議論をするのは、かなり取り組みやすい課題であるだけでなく、現代の社会問題の理解を助ける有用な研究になり得ます。社会が福祉を提供するようになれば、それを詐取しようとする人が出てくるのは当然で、福祉の提供をやめない限り根本的な解決はできません。もちろん、時代が下って制度が整えばあからさまな例は減るでしょうが、現代にも似たような問題が、より複雑でわかりにくい形になって残っているはずです。

こういう議論がしたいとき、以前傑作として取り上げたオズの魔法使いのような作品は、抽象的な事柄を巧妙に描いている分、材料として扱いにくくい傾向があります。またピノッキオの冒険は、たとえ短慮浅慮があったとしても、当時の社会にあった問題を小手先で扱おうとはしておらず、だからこそ「三流」に踏みとどまって、読者にはそれなりの読書体験を、研究者には歯ごたえのある研究材料を提供することに成功しています。文学を学ぼうとする生徒には、そういった事情やバランスを体験する機会も貴重なものでしょう。

蛇足ながら、このle avventure di pinocchioは私が生まれて初めて買ったイタリア語の本で、中身はまったく読めません。本を本棚に並べるのが私の趣味なので、読めなくても別に構わないのですが、イタリア語を勉強したい人に利用していただけたら、ただ置物にするよりはずっと、本の価値も出るのかなと思います。

-関連記事-
図書貸出のお知らせ
オズの魔法使い
2020.07.19 12:17 | 固定リンク | 本の紹介

- CafeLog -